「近江屋洋菓子店とは何か」  京極 一

 完璧なミッド・センチュリー・モダン様式の店のガラス戸を押し、品のいい笑顔に迎えられ、今日もまた近江屋洋菓子店のカウンターで、洋菓子とコーヒーを楽しむ。私はこの店が大好きだ。だから、大好きな理由について、考えてみる。

洋菓子ー芸術作品?

 ケースの中に鎮座まします精密な彫刻として、鑑賞される対象になった、昨今の洋菓子。作り手たちは、究極の素材を求め、技術の極限に挑み、微細なディテールにこだわる。それはそれで、素晴らしいことである。
 ふと懐石料理を思い出す。誰もが懐石料理を褒め、その文化的背景や技術的完成度を誇る。だが、どれだけの人が現実に消費しているのか。市井に生きる我々にとって、それは語る対象でこそあれ、食べる対象、ましてや楽しむ対象などではない。
 日常の食が基本にあってこそ、非日常の食の存在理由が生まれる。単に語る対象でしかない非日常の食だけが幻想として肥大し、我々の現実の生活が置き去りになっているとしたら、それは悲劇だ。
 だが実際、多くの人は悲劇に生きている。メディアを飾るフランスのパティシエの作品を見て陶然としつつ、コンビニの袋菓子を食べている。それはまるで、京の朱雀大路を牛車で往来する殿上人の絹衣に見とれつつ、ボロを纏う貧しい民のようではないか。洋菓子に関して、なぜこのような時代錯誤的奇形的状況が罷り通っているのか。
 
生活とともにある洋菓子

 昔は東京中にあった普通の和菓子屋で、ちょっと小腹がすいた時などに団子を数本買って、普通に食べていたものだ。今では多くの和菓子は、デパートの地下で見かける、妙にイカついケースの中で、いやにしつこく飾りたてられた、贈答用商品でしかない。
 翻ってパリを見れば、フォブール・サントノーレにあるような高級店はさておき、住宅地の街角には洋菓子店が必ずあって、毎朝新鮮な素材で作られた普通のタルトやエクレアが朴訥な姿で並び、日常的に買われ、普通に食べられ、食生活を豊かなものにしている。むろんそれはフランスに限らない。洋菓子の故郷たるあらゆる国において、洋菓子とはまずは日常的な存在ではないのか。
 日本は、すべてが西洋化した中で、普通の和菓子を喪失したばかりか、普通の洋菓子をも忘却しようとしている。気構えて訪れ、決心して買い、気合いを入れて消費するような洋菓子。または計算高いマーケティングに踊らされ、流行に遅れないためにだけ消費するような洋菓子。そして大量生産の劣悪な洋菓子。その三類形に囲まれる生活が、幸せであろうはずがない。優れた品質の、気取らない「普通の」洋菓子こそ、本来の意味で我々の生活を、もっとも豊かにしてくれるものではないのか。 
 
 さりげなく、ただしく
 
 近江屋洋菓子店は、あるべき「普通の」洋菓子に対して意識的に取り組んでいる、希有な存在だ。彼らは特殊動機に向けた自己満足的完成度に陥らず、皮相的な華美さに走らず、老舗の暖簾に奢らず、真摯に、しかし笑顔を絶やさず、素直においしい洋菓子を、誰もが気軽に買える値段で、作り続けている。
 とはいえ、ベーシックな商品が安くておいしいだけなら、近江屋洋菓子店ならずとも、世の中いまだ多くの店がある。だが、一見シンプルな彼らの洋菓子は、さりげなくも揺るぎないバランスと穏やかな包容力を感じさせる点において、また、親しみやすい中にスクッと立ちあがる品性を感じさせる点において、その他一般のカジュアルな洋菓子店の味わいとは決定的に異なった。ある種の正しさを感じさせるものとなっている。それは傍目には見えずとも彼らが営々と培ってきた老舗ならではの伝統のなのかも知れない。神田と本郷という、江戸期以来の精神文化を脈々と伝える矜持ある土地の力なのかも知れない。帰るべき安寧の場所にして、決して惰眠を貪らない、上品な味わい。それが近江屋の洋菓子だ。
 
 日本の洋菓子のあるべき姿を求めて
 
 日本は四季の国といわれてきた。季節を取り込むことが食の基本とされてきた。にもかかわらずステレオタイプにあって季節は、単にモミジの形に成形して着色料でモミジ色にされた練切の如く、倒錯的な姿でしか現れない。
 それに比べて洋菓子は、果物を中心とする季節素材を使用することで、むしろ和菓子以上に季節感を直接的味覚的に表現することが可能になる。
 近江屋洋菓子店は、この洋菓子本来が持つ利点を最大限に活用する。彼らの一日はまず果物市場に行くことから始まると聞いて、私は目の覚める思いがした。寿司店が魚河岸に行くことは当然だと思うが、洋菓子店ではどうか。しかし料理はもともと。今ある季節の素材を見極め、それをどうやって生かすかを考えることに基本を置くのではないか。洋菓子とて例外ではあり得ない。
 知っての通り、季節の果物は極めて高価な食材だ。だが彼らは、市場で築き上げた信頼によって、また長年の経験によって、そして重要なことは業者任せでなく自らの目と足によって、ほかでは到底不可能な値で果物を探し出してくる。
 近江屋洋菓子店の驚くべき低価格、チープではなく、あくまでリーズナブルという意味での価格は、この地道な努力がもたらしたものだ。もちろん彼らはそれを普通のことと受け流すだろう。そしていつものあの笑顔をカウンターの向こうから返してくれるだけだろう。だがその努力ゆえに、我々は、日本ならではの季節感を、ほかのいかなる料理よりもまっすぐな形で、大好きな洋菓子の形で、毎日生活の中に、自然に取り込むことが。ありがたいことだ。日本の洋菓子のあるべき一つの形を実現した、近江屋洋菓子店。その価値はたぶん彼らが自覚している以上に大きく、その意義はかつて私が理解していた以上に大きい。

『考える人』新潮社 「日本のすごい味」

いちごのショートケーキ

考える人季刊誌2008年秋号 P114
文=平松洋子 撮影=日置 武晴
www.shinchosha.co.jp/kangaeruhito/

考える人

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『おやじのおやつ』田沢竜次 朝日文庫に掲載されました。

おとなのおやつおとなのおやつおとなのおやつ

『下町人情食堂』に掲載されました

『下町人情食堂』
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地図物語『あの日の神田・神保町』(武揚堂)に掲載されました

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